第2回 「キッチンから考える水の循環」セミナーを開催しました



平成20年6月26日(木)に、東京中野の織田調理師専門学校で「キッチンから考える水の循環」の第2回セミナーを開催しました。今回は、活動弁士の佐々木亜希子さん、鶴見川流域ネットワーキングの小林範和事務局長、フォーシーズンズホテル椿山荘東京の吉田利弘総料理長を講師に迎え、昔の暮らしぶりを懐かしみながら大笑いできる活弁喜劇の上映、私たちのくらしが河川環境にどのように関わっているのかをテーマにした講演、水の使い方に配慮しながら美味しく作れる料理の講習など、盛りだくさんの内容でした。






 
   
◇昔の暮らしを振り返って…◇

 私が小学6年生まで暮らしていた家は、昭和初期に建てられた古いもので、お風呂は薪をくべて沸かしていました。
 思い出しますね。蔵には稲刈りの時に出た藁やお隣の大工さんからいただいた木材のいらない部分がたくさんとってあって、それを使ってお風呂を焚いていました。新聞紙やいらない紙類も火をつけるのにちょうどよく、ゴミ処理にもなり一石二鳥の燃料でした。
 お風呂の残り湯も、洗濯にまわしたり雑巾がけに使ったりと、二次利用していましたね。

 それから、この「子宝騒動」の活弁をさせていただくたびに思い出すことがあるんです。我が家の蔵で飼っていた豚のことです。(映画では、豚の争奪戦が繰り広げられます

たった1頭だけですが、食事が終わると「これを豚にあげてきて」と言われて、料理の際に出た野菜の切りくずや残飯を手渡される。それを豚に食べさせるんです。

 そうやって育てた豚が、大きくなるとなぜかある日突然いなくなってしまう。そして、代わりに子豚が連れて来られているんです。それが子どもの頃はとっても不思議でしたね。今にして思えば、無駄を出さず利をあげる生活の知恵(笑)。

 残飯は豚の餌になるだけではなくて、畑の肥料にもなりました。今で言うリサイクルです。畑で獲れたものがまた畑にかえって、次の野菜や穀物を美味しく育ててくれる。そういう循環が当時の生活にはあった気がします。

水道の水も本当においしかったと記憶しています。鳥海山あたりから流れて来る水を水源にしていたと思うのですが、とにかく、自然に囲まれた田舎の水道水は美味しいと感じていました。けれど、近年、帰省するたびに「あれ、こんな味だったかな?」と思うようになって。ショックを受けると同時に、水を使う私たちの責任を痛感しています。

 今回のセミナーのテーマにもあるように、水は一度使ったら終わりではありません。絶えず循環しています。だからこそ、私たち一人ひとりが水の使い方に気を配るべきだと思っています。



【プロフィール】山形県酒田市生まれ。NHK山形放送局で夕方のニュース番組キャスターを務めた後、フリーとなって、テレビ・ラジオ等で活躍。2001年より、無声映画説明者「活動弁士」として活動を始め、現在では130作品以上のレパートリーを持つ。最近は、活弁の技術を活かした視覚障害者も健常者も楽しめる映画音声解説にも活動の幅を拡げる一方、情報エンターテインメント番組『やぐちひとり©』(テレ朝系火曜深夜)のナレーションなども務める。





 
   
(要約版)

 昔は学校にプールなんてありませんから、子どもたちが川で泳ぐのは当たり前のことでした。当時、鶴見川で泳いだ経験をお持ちの方にお話を伺うと、その頃は水筒なんて持っていくことはなく、喉が渇けば川の水をそのまま飲んでいたというのです。そのように、川はまさに生活に密着した存在でした。

 ところが、1960年代に入ると汚染が進み、鶴見川の水面には大量の泡が発生しました。それこそ、臭いもきつくて、近づくことさえできないという時代でした。

 一時はそのように環境が悪化した時代があったのですが、今は水質が改善され、アユが獲れるまでに回復してきました。一体なぜでしょうか。

 長年にわたって採取されたデータを見ますと、鶴見川の下流ではBODという汚れの指標が一時、汚染の目安である10mg/lを大幅に超え、いわゆるドブ川のような状態になっていたことがわかりますちょうど昭和40年あたりからBODの値は急激に上がりまして、それから10数年間は10 mg/lをはるかに上回るところを推移し、そして、それが大きく変化したのが60年頃でした。数値は10 mg/l前後に改善され、平成10年以後は、さらに低い数値となりました。

 このように鶴見川が汚くなったりきれいになったりした背景には一体、何があったのでしょうか。まず、汚れた原因ですが、実は、川の汚れのほとんどが生活系なのです。つまり、汚れの原因は、私たち自身です。具体的には、台所の排水が約4割、お風呂の水が約2割、トイレが約3割で、残り1割が洗濯その他(環境省「平成19年度版 環境白書」)とされています。そして、それらをすべて合計しますと、一人が1日、家で生活する中で約43gの汚れ(BOD)を出すことが分かっています。

 こうしたことを踏まえて振り返ってみますと、鶴見川流域で出る生活系の汚れは高度成長期以降、相当増えました。なぜなら、昭和30年当時は約40万人しか住んでいなかった流域の住民が、この間ずっと右肩上がりを示してきて、平成14年度には180万人と、4倍以上にもなったからです。これが、鶴見川の水質が悪くなった主たる原因です。

 それでも近年になって川がきれいになったのは、下水道が整備されたためです。川の汚染が目立ち始めた昭和40年代初頭は下水道の普及率はゼロでしたが、これではまずいということで急ピッチで整備が進められ、今では流域全体で90%以上の家庭が下水道に接続する格好になりました。そのお陰で、川に流れ込む負荷が減り、川の状態もどんどん良くなっていったのです。

 ただ、ここで1つの疑問が持ち上がってきます。今申し上げたように、下水道の普及率が上がるにつれて川の汚れも減っていったわけですが、昭和60年頃からは、下水道の普及率がまだ上昇を続けている最中であるにも関わらず、数値が下がらずに横ばいになってしまっているのです。これはなぜでしょうか。

 原因の1つには、湧水の減少があります。流域から自然地が減ってきたため、降った雨が地面に浸透し難くなり、そのことが、鶴見川に注ぎ込む湧水の量を減少させているのです。したがって、川の汚れが薄められることなく下流まで流れるので、例え汚れの量が総体的には減ったとしても、BODの測定値に変化が出ない(ともすると悪くなる)といったことが起こるのです。

 それが1点です。しかし、もっと大事な原因があります。実は、それにも私たち自身が大いに関係しているのです。

 ひとことで言えば、街のごみが原因です。とは言え、ピンと来ない方もいらっしゃるかと思いますので、もう少し詳しく述べますと、今、街のいたるところでは下水道が整備されています。そして、その下水道の役割は汚水を下水処理場に送ってきれいにすることだけではなくて、街に降った雨を集めて速やかに川や海に放流する役割も担っているのです。つまり、安全のための役割です。普段はなかなか気づかないかもしれませんが、一面コンクリートに覆われた街中で、少々雨が降っても水浸しになったりしないのは、下水道が雨を運んでくれているからです。そして、厳密に言うと、「合流式」という方法と「分流式」という方法の2種類で雨水は運ばれるわけですが、いずれにしても、雨天時に街にたまったごみや汚れが雨で洗い流されてしまい、結果、川へと流れ出るのです。これが川を汚す原因です。


 先ほども触れましたように、家のトイレやお風呂、台所の排水は下水処理場できれいに処理されるので、川を汚すことはなくなりましたが、それ以外のところで私たちが出している汚れが、相変わらず川に負担をかけているのです。具体的には、自動車の排気ガス、タバコなどの街に捨てられたごみ、道路の側溝に落ちたごみ、外で洗車や洗い物をした時の排水などです。

 自動車の排気ガスは風に乗ってどこかに飛んで行ってしまいそうな気がしますが、実際は路面に付着し、そこに雨が降ることで、汚れた水が川に流出します。また、道路の脇に植えられている街路樹。この街路樹も、日頃は空気をきれいにしてくれているわけですが、実は葉っぱには相当の汚れが付着していて、同じく川の汚れの原因となります。そのほかにも、ポイ捨てのタバコやごみ、衣類やカバンなどから出る埃など、街に落ちたあらゆるごみが、やがて川に出ていきます。

 このように、下水道の整備(家庭と下水処理場を結ぶ施設の整備)によって川の水質が良くなった反面、かつて人が泳いでいたような昔の姿に戻りきれないのは、私たちが出しているゴミや汚れが原因なのです。このことは、言い換えれば、川をもっときれいにするためには、私たち一人ひとりが川に負担をかけないように気をつけることなのです。例えば、家庭で汚れた水をなるべく流さないこと。特に、油汚れは下水道管を詰まらせる原因にもなりますし、また、下水処理場にとっても厄介(微生物が分解し難いものです)なものです。ですから、食器を洗う前に、できるだけ拭き取ってから洗うようにすることが大切です。そして「街の汚れは川の汚れであること」を意識し、できる限り街を汚さない配慮が求められます。

 このような観点から、さっそく、ご自分でできることを考えてみてはいかがでしょうか。





【プロフィール】千葉県市原市生まれ。千葉大学園芸学部 緑地・環境学科卒。森・川・海の水の循環に関心をもち、北海道十勝で林業に従事。1998年~2000年 青年海外協力隊に参加し南米パラグアイへ。環境教育への思いを強くし、2003年よりNPO法人鶴見川流域ネットワーキング職員、2005年より同・事務局長として、河川・水循環に関わる教育・普及活動に携わる。





 
   
◇調理の実演と試食◇

 今回は、主催者側より、廃油ローソクの提案をさせていただいた関係から、吉田総料理長には「ローソクのもとで食べたい料理」と題して、美味しく、環境にも健康にも良い料理をご紹介いただきました。

 




【プロフィール】ニューヨークのピエールや、シカゴ、ダラス、ヒューストンなど、海外でフォーシーズンズホテルに求められる味とサービスを修業。「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」の開業(19921月)に伴い、洋食調理長に就任。その後、「椿山荘」洋食調理長、「太閤園」(大阪)総調理長を経て、2003年に「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」総調理長に就任。人柄を映す心のこもった料理にファンは多い。



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